重々しき音を立て、倉庫の扉がゆるりと開かれ申した。

中はひんやりと冷たく、
かすかに蝋燭の残り香が漂う。

奥へと進めば、そこに佇むは
一枚の絵画——翠緑の猫娘の絵なり。

異国の筆によるものか、その娘の瞳は深き森の翠に輝き、妖しげな微笑みは見る者の心を惑わすほどの美しさ。

まるで今にも絵の中より抜け出し、此方へ語りかけんばかりの気配があった。

その前に立つは、八千代なる将軍の側室。

扇子を開き、口元を隠しつつ、じっと絵を見据え、ゆるりと申される。

八千代

ほう……これが異国の絵画か

さほど驚いた様子もなく、
ただ目を細め、何やら思案して
おるような風情。

と、そのとき、倉庫の奥より
足音がひとつ。現れたるは、
一匹のシスター。

漆黒の修道服に身を包み
厳かな面持ちにて八千代の前に
進み出た。

サヨリ

八千代様、私はサヨリと申します

八千代

お前がここの長か?

サヨリ

はい。今は神父様が不在ゆえ、私が責任者を務めております

サヨリは八千代と翠緑の猫娘の
絵の間に立ち、ぴたりとその
動きを制するように申す。

サヨリ

この絵は持つ者に災いを呼ぶと伝わっております。
上様に献上など叶いませぬゆえ、どうぞお引き取りくださりませ

これに八千代、扇子を軽く
揺らし、くつくつと笑みを洩らし申した。

八千代

災いを呼ぶとは面白い。されど、それにしては立派な教会ではないか。
聞けば、教会の建設はことのほか厳しきもの。されど、そなたらは、
ぽんと許可を得ておる。妙な話ではござらぬか?

八千代

かなりの大金を積んだとも聞いておるが

サヨリ

……それは、神父様が苦労なされた結果にございます

八千代

嘘を申すな

八千代

この絵のことは、すでに調べはついておる

八千代

この絵画、上様に献上させてもらうぞ

瞬く間に、八千代の付き人どもが
動き出し、絵画を丁寧に取り外し申した。

サヨリ

......

サヨリは唇を結び、お清の額には
冷や汗が滲む。

張り詰めた空気が倉庫を包み込み申した。

しかし、その緊迫を破ったのは
フミであった。

静かに歩み寄り、どこか含み
笑いを浮かべながら一言

フミ

八千代様、この絵は偽物にございます

八千代

なんじゃと?

八千代の扇子が、ぴたりと止まり申した。

サヨリ

!!

お清

!!

サヨリとお清はまさに雷に
打たれたかのごとく驚愕した。

お清はたちまち血相を変え
声を荒げる。

お清

フミ、何を申しておるか!

その声が小屋に響き、張り
詰めた空気がさらに重くなる。

されど八千代は微動だにせず
冷ややかな目でフミを見据えた
のち、ゆるりと扇子を閉じ
サヨリへと向き直った。

八千代

……サヨリと申したな。もしこれが偽物であったならば、この仕打ち、ただでは済まぬぞ

サヨリ

や、八千代様……

八千代は一歩踏み出し、扇子を
すっとサヨリの前にかざしながら、低く静かに、されど確かな
威圧を込めて言い放つ。

八千代

この教会、潰してしまうも容易いこと。おぬし、覚悟はできておろうな?

サヨリ

……わかりました。本物は隠してございます

お清

サヨリ様!

サヨリ

よいのです。この教会を守ることが私の務め。ここまで知られてしまった以上、
八千代様に隠し通すことなどできませぬ

サヨリ

八千代様、ご案内申し上げます

サヨリはそう申すと、倉庫を
出て歩き出す。

八千代とその従者たち、
フミ、お清が後に続く。

目の前には白き壁に囲まれし
教会、その裏手へと向かうと
木立に隠れるように建つ納屋があった。

昼間なれど、奥へ進むほどに薄暗く、鳥のさえずりすら届かぬ
静けさが支配する。

サヨリは納屋の戸口に立ち
鍵を取り出して錠を外す。

扉を押し開けると、そこには階下へと続く狭き石段があった。

サヨリ

こちらへ……

サヨリは先へ進み、蝋燭を手に
取る。階下は昼の光も届かぬ地下の廊下。

壁の燭台にともる炎が揺れ、
石造りの床を橙に染める。

湿った空気が満ち、かすかに
水滴の落ちる音が響く。

しばし進むと、突き当たりに
一枚の壁が立ちはだかった。

サヨリはそっと壁に手をつき、
力を込めて押し開く。

——ギギギ……

重々しい音が響き、隠し扉が
姿を現す。フミは思わず息をのむ。

フミ

……こんなところに、隠し扉があったのか

奥の部屋の扉に鍵がかけられて
おった。サヨリは再び鍵を
取り出し静かに錠を外す。

そして、扉を押し開き
一歩下がって八千代を促した。

サヨリ

八千代様、どうぞお入りくださいませ

八千代は微かに笑みを
浮かべながら、堂々とした
足取りで部屋へと踏み入れた。


——しかし、次の瞬間

八千代

……これはいったい、どういうことじゃ?

八千代は足を止め、
怪訝(けげん)そうに振り向いた。

サヨリは静かに頭を上げる。
部屋の奥を見つめるその瞳には
動揺の色が浮かぶ。

——そこにあるはずの
『翆緑の猫娘の絵画』は
影も形も見当たらぬ。

部屋の中央に据えられし壁には
かつて絵が掛けられていたで
あろう痕跡のみ残り
今はただ、虚しき空白が
広がるばかり。

サヨリの顔よりさっと
血の気が引き、唇わななきながら、か細き声で呟いた。

サヨリ

ま、まさか……

その言の葉は、静寂の帳に溶けゆくばかりであった。